プライヴェートも、仕事も、犬と話すときですら、ドイツ語での日々を過ごしている。
ドイツにいるんだから当たり前でしょ、と言われてしまえば、それまでなのだが、一日の何分間でもよいから、日本語と接していたい。
というか、頭の中が空っぽで、とんでもなく上の空でも日本語ならば入ってくる。そうした、時間が欲しい。
電子書籍で本を読むようになって久しい。
紙の本派の方々は一様に、紙の感触があってこそ本、あるい表装の美しさもまた楽しみだし、そんなのなしに、ただ内容だけを追う本なんて。。。とこぞっておっしゃる。
私も結構旧式な人間だから、大いにこの意見には賛成する。もし私が日本にいたらなら、いまだに電子書籍リーダーなるものは決して手にしていないと確信がある。
しかし、ここでは背に腹は変えられない事情があるのだ。
日本の書物がほぼ全くと言ってよいほど手に入らない。
たまに日本の食材店などに行くと、帰国する駐在員が残していったとみられる本が売りに出ている。たいていが「これでゴルフはうまくなる」とか「人の心を掴む」だのビジネスマンが持っていそうなステレオタイプの本が並ぶ。
あるいは、上下に分かれている上だけ、という小説もちらほらと並んでいる。いったい誰が小説の半分だけを読んで満足できるのだろうか。。。
自分でネット注文、という手もある。年に一度か二度注文していたが、本の代金と同等かそれ以上の輸送費と関税をとられてしまう。これは本当に腹立たしい。
パリなどは、日本のレストラン、食材、そして本が簡単に手に入る。ここで本を大量に買って帰ったこともある。問題は非常に本は重い。気に入った洋服や靴も買って、小さな引越しほどの荷物を持って帰ったりもした。
こういう事情を話せば、どれだけ電子書籍が私の暮らしに理想的かは理解していただけると思う。万が一、理解していただけなくても、私は電子書籍なしには生きていけない。
地下鉄の中で読む。この15分は至福の時だ。電子書籍リーダーを開けば、1秒もかからずと、全く違う世界に入り込める。よほど激しく赤ちゃんや子供が泣かない限り、私は地下鉄に座っていることを忘れる。
そう、忘れるのだ、完璧に!
そろそろ降りる駅が近いかも、とはたと気がつく。
そうしたら、大抵二駅も三駅も乗り過ごしている。
今日などは行きも帰りもそれをやってしまった。
春から夏にかけては、地域ごとにそこに住む人々が不用品などを出す蚤の市が開かれる。盛んな地域もあれば、全く盛り上がらない地域もある。例えば、私の住む地域は住宅街で古くから住んでいる人も多いにもかかわらず、全くもってしょぼくれた蚤の市だ。
私の家から地下鉄でたった二駅目にあたるその地域は、そんじょそこらの蚤の市より、楽しく面白いものにも巡り会える。
そこで、こんなライトを見つけた。
これを出していたおじさんが面白い話をしてくれた。
かれのお父さんはかなりの心配性で、何かにつけて「もし。。。したら。。。」の対策を本気で考え実行する人だったらしい。
このライトはそのお父さんが若い頃から、車の中にいつも置かれていたものらしい。
「もし、真っ暗な夜道で車が故障したら。。。」
「なが〜いトンネルの中で事故をしたら。。。」と、いろんな「もしも。。。」を考えて、考えて。。。
でも、その「もしも。。。」は、一度もやってこなかった。
「50年間、ずっとおやじと一緒にいろんなところに出かけたライトだ。もしかしたら、息子の自分と過ごした時間よりは長かったかもしれんなぁ」
このライトは新しい輝きをまだ残している。
おじさんのお父さんの安全運転を50年も見守り、彼の「もしも。。。」につきあった。そして、一度の出番もなく、ただひたすらに彼のそばに寄り添っていた。
私にもこうした相棒がぜひ必要なのではないか。。。「次の駅で降りるんだよ、ピカ、ピカ」と
やってほしい。
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