自分の嗜好や好みを自分でわかっていないことが多い。
もちろん、とっても好きだ!と断言できることもたくさんある。しかし、自分では気がつかないうちに、似たような色、形の洋服が洋服ダンスに並んでいて、はた、と思うこともある。
あるいは、私は写真を撮るのがとても好きだが、私の撮るアングルやモチーフは、いつもなんとなく似ている。
それが個性、というものなのだろうとは思うが、それが自分ではどうにもコントロールできないところが何とももどかしいではないか。
私の姉は、とても面倒見が良いので、大人になって随分と久しい私にも、時々洋服などを買ってくれる。それにはとっても感謝をしているのだが、
「あなたの好きそうなワンピースを見つけたから、買っておいたわよ。」
彼女は日本に住んでいるので、画像を私に送ってくる。
「・・・」
いつから、私は、こういう趣味だったのか?
自分ではシンプルですっきりした形や色の洋服が好きだと思っていたが、姉からすると、私の趣味は、「お花畑の少女」らしい。
彼女の好意に文句をつける気はさらさらないので、ありがたく頂戴はするが、部屋着にして着るのもためらわれるほど。。。
いつか、姉のこうの大きな誤解を解きたいと思っているが、今の所、有効で平和的な手段を見つけるに至っていない。
私が古いものを探すときも、いつのまにか目が行くのは、渋い男性が持っていたら様になるようなものが多い。そういう私がちっとも渋くもクールでもないのだから、このギャップは自分でもおかしい。
今日紹介するのは、その折衷型。渋いが女性らしくロマンチックなモチーフが描かれているフラッシュライト。
Hassiaというメーカーらしいが、戦時中にミリタリー用にフラッシュライトを多く作っている。このライトも30年代の物のようだが、こうした女性的なモチーフが描かれているライトは見たことがないし、心持ち大きさも小さいような気がする。
表側には、白いペンキが飛び散った跡が残っている。それも愛嬌で、親しみがわく。
戦時中に、男性のいない家庭を守る主婦が孤軍奮闘した姿を思い浮かべることができる。
戦時中、あるいは戦後間もない頃のドイツの写真は、蚤の市などでもよく見かける。
そこに写っているのは、本当に弾けるような笑顔の女性たちだ。瓦礫を片付けていたり、泥だらけになって働いている彼女たちは、継ぎのの当たった洋服を着ているし、もちろん化粧っ気も全くない。けれど、どの写真を見ても、明るく生き生きとした姿で、カメラに向かって笑いかけている。
こうした写真を見ていると、幸福とか不幸とは、どういうことなのだろう、と考えさせられる。そして、こんなに豊かな時代に、不幸そうに眉間をシワを寄せて歩く人々がなんと多いことだろう。
埃が舞うように、小さな目にも見えないような幸せは転がっているはず。こうしたことに目を向ける毎日がおくれたら、きっと私の性格もいつのまにかよりよく変わっていくんだろうになぁ、と思っている。
No Comment