夏時間が終わると、ぐっと日暮れが早くなる。夕方4時になるとすでに暗くなってくるので、仕事をしていても早く帰りたくなる。真っ暗になって帰る道のりは、少々寂しいものだ。
しかし、冬の暗い夜道を帰るのにも楽しみはある。
家々の明かりが灯り、家の中をちょっとだけ垣間見ることができるのである。こちらの人は、家の中が丸見えになるからといってカーテンを引いて隠したりしない。ともすると、家の調度品を見て欲しいのかと勘ぐるほど、あけすけに家の中が見えることもある。
間接照明が主のこちらは、家の中の様子に温かみがあり、時にはロウソクのみをつけている家では、ゆらゆらとうごめく光がロマンチックで、思わず近寄って中を覗きたくなる衝動にかられる。
また、クリスマス前になると、大きなモミの木がきらびやかに飾られて部屋に鎮座している。それを外からちらりと眺めると、平穏で暖かな家族の雰囲気を感じることができ、幸せのおすそ分けをもらえたような気分にもなる。
クリスマスのことはまた度々書くことがあるだろうから、ここでは述べないけれど、一度悲惨なクリスマスを迎えた経験をお伝えしたい。
相方がその年のクリスマスをイタリアで過ごし、私はどうしても抜けられない用事を抱えていたために、一人、家で寂しく残った。それでもめったに一人になることもないし、一人でのんびりしてやるぞ、と案外気楽に思っていたが。。。
こちらは寒いところだけに、家中暖かい、セントラルヒーティングシステムがある。ほんわかと家中暖かなので、冬でも厚着をする必要はないし、トイレやお風呂へ向かうのがおっくうになることもない。しかし、一旦この機能が停止してしまったら、家中冷えるのである。
クリスマスに我が家のこのHeizung(ハイツング)と呼ばれるセントラルヒーティングがストップした。
こちらのクリスマスは、日本のお正月と全く同じ感覚だ。家族、親戚が集い、伝統的なクリスマスの食事をする。そして、誰もこんな時には働いていない。
私は、クリスマスの数日をどんどんと冷えていくこの家で過ごすのかと思うだけで、泣きたくなるほどだった。いろんなツテをあたり電話をかけまくったが、どこにもつながらなかった。
しかし、世の中に捨てる神もあれば、拾う神もあり、とはよく言ったものだ。
幸運を運ぶとこちらでは言われ、大変丁重にお迎えをする煙突掃除人が、なんとクリスマスの最中に私の家に来てくれたのである。そして、言い伝えどおりに、私にこれ以上ない幸運と暖かさをもたらせてくれた。
以来、私は煙突掃除人が我が家に来ると、特別ゲストを迎える様に大事に大事にしている。
自家発電のベークライト製ライトを見つけた。ハンドルを上下に何度も押すと、明かりが灯る。自転車のライトの会社、”MELAS”が作った懐中電灯だ。この手の自家発電のライトは第二次大戦の兵士が持っていた。戦争時に使われていたので、ここまで完璧に綺麗なライトはなかなかお目にかかれない。
ハンドルを上下に動かすと、自転車のライトが灯るように、ギュンギュンと音を立てて動き出す。私の中の童心が目を覚ます、そんな音だ。
デュナモライト(自家発電懐中電灯)
1940年代
ベークライト、金属、ガラス
h6,0 x w12,0 x d3,5 cm
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