イースターの祝日がやっと終わった。
毎年のことなのだが、パートナーの弟家族がイースターのお休みにはやってくる。彼らの両親はすでに共に他界をしていることもあって、二人兄弟のパートナーと弟は仲がよい。
環境は人を作る、というが、この二人の兄弟を見ていると、まさにそうだなぁ、と感じ入ってしまう。
彼らのお父さんは、イタリア人、おかあさんは、ドイツ人というカップルだった。昔は地続きのヨーロッパでも、イタリア人とドイツ人が結婚するのは、大変だったらしい。さらにお母さんは10代でお嫁入りしたのだそうだ。結構なスキャンダルだった、というのを亡くなったお母さんから聴いたことがある。
パートナーと弟はイタリア人とドイツ人のハーフ、ということになる。
外見的には大柄で金髪、青い目のふたりはドイツ人的なのかもしれない。しかし、二人の人生は全く違う歩みをしたせいで、外も内も大いに異なってしまっているのだ。
私のパートナーは南イタリアで誕生し、子供時代はドイツとイタリアを行き来し、大人になってからは30年近くもドイツに居住している。弟は、ドイツで誕生したが、その人生の多くをイタリアで過ごし、今尚イタリアに暮らしている。
私のパートナーは、イタリア語をもちろん完璧に話すが、それでもそのイタリア語はドイツ語訛りが入り、到底イタリア人とは思われない。身体つきも、考え方も、何もかも本当にドイツ人になってしまっている。
弟は、ドイツ語も話すが、私レベルのドイツ語だし、身体つきも動作も思考も100%イタリア人だ。
本当に面白いなぁ、と感じる。
しかし、考えてみれば、日本でもそうなのだ。
私の兄は長く大阪にいるので、言葉のイントネーションが少しだけ関西風になっているし、姉は結婚前から福岡にいるので、すでにまるきり九州の人になっている。
つまり、私だけが、中途半端でどこにも落ち着かない状態なのだ。
昨年末に日本に戻った時に、どうやら私は日本人に見えないのだ、ということが判明した。もちろん、顔かたちはまるでアジア系なので、ヨーロッパの人に間違われることは到底あり得ないが、日本人ではない、アジアの国のどこかの人、になっている。
観光名所に行くと、中国語、あるいは英語のパンフレットが渡される。とあるレストランでは、ウエイトレスの女性に
「上手な日本語を話されますね。」
とまで言われてしまった。
3年で身体のすべての細胞が入れ替わる、と聴いたことがあるが、それならば、私などはもう完全にドイツの環境に適応した細胞に入れ替わってしまっているのか。。。まぁ、細胞が何巡もドイツの環境に適したものに変わったとしても、顔の彫りが深くなるわけでもなし、目が青く変わるわけでもない。
つまり、海を渡って遥々ドイツまで来て、そこに定住してしまった私は、少々、いや!かなりの割合で不思議で落ち着きのない存在になっているのかもしれない。
子供の時、体育の時間に使っていたような大きなメジャーを見つけた。
「ドイツのクオリティは、ハンパないなぁ!」と思わせられるのは、こういう普通に使われている物の場合だ。表面をすべて革で覆ってあり、メジャーの引き出し口は真鍮製、そして巻き取りの取っ手はステンレス製で、大仰なほど頑丈に作られている。しかし、肝心のメジャー部分は本当に簡素で、外側の丁寧な仕事とのギャップを感じてしまう。
このメジャーになぜか親しみを持つのは、中のメジャーの簡素さと外側の必要以上の作り込みにアンバランスを感じてしまうところかもしれない。意外性に満ちたこのメジャーがもししゃべることができるならば、案外気の合う友人になれるような気がする。















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