ヨーロッパは本当に地続きなんだなぁ、と実感するのが、スーパーの行列に並んでいる時だ。
私の前のカップルはイタリア語で話している。後ろの男性は携帯でトルコ語で話をしている。とにかく多彩な言葉が飛び交う。「私、外国人だから・・・」のコップレックスを全く持つ必要はない。
私のパートナーは半分ドイツ人、半分はイタリア人だ。彼が子供の頃は、ドイツ人からは「スパゲッティ野郎」とからかわれ、イタリアでは「芋野郎」と揶揄されたそうだ。
私からすると、彼がドイツにいる時には、イタリア人気質がむき出しに見えるし、イタリアにいると、小難しい考え方がドイツ的だなぁ、と感じてしまう。二つの文化を背負うことの長所も大変多いとは思う。しかし、こうしたどちらにもつくことができない宙ぶらりんさを、今までの人生で彼は、度々感じてきているのだろうなぁ、と思う。本当にご苦労様だ。
二つの文化をしょいこんでいるからかどうかは知らないが、私のパートナーは「どこまで繊細なの?」というほど小さなことを気にかける。
身体は熊のように大きいのだが、ウサギの心臓を持ち合わせているとでも言おうか。昨日出したメールの返答がないと訝り、あげたプレゼントが気に入らなかったのではないかと気をもむ。はたから見ていると何だかかわいそうだ。
そんな彼が作るパンが絶品だ。
重曹を使ったパンなので、パパッとこねてすぐにオーブンに入れて焼くことができる、正味30分の早業だ。
朝起きてから出来たて熱々のパンを食べるのは、かなり幸福度が高い。
本当におおざっぱで粉もろくすっぽ計らないのだが、オーブンを子供みたいに何度も覗きに来るのが、彼の繊細さの表れなのかもしれない。
私が子供の時に好きだったのは、懐中電灯だ。あまりおもちゃらしいおもちゃでは遊ばず、日常で使うものを何でもおもちゃにした。懐中電灯は、時にマイクになり、時にピストル、そして秘密兵器にもなった。電池を入れたままで遊ぶと重いので取り出すのだが、遊び疲れたら、電池のことはすっかり忘れて、そのまま元の場所に戻す。
昔は時々停電があったが、そんな時に電池が入っていない懐中電灯が役に立たず、何度母に叱られただろう。
懐中電灯は私の子供時代の良き遊び相手ではあったが、苦い思い出もまたそこにはひっついているのだ。
今日の紹介はおもちゃのように小さな懐中電灯。70年代の代物で、私の集めているもの中ではかなり新しい部類に入る。
Crone 懐中電灯
長さ11cmと小さく、何と、この懐中電灯は当時のままの電池が入っていた。スライドを動かすことで照らし方を変えることができる。小さいながら機能的。西ドイツ製。
こちらもCrone製。上記の青よりは新しい。バーコードのシールが貼ってある。バーコードはドイツでは70年代後半から80年代に一般的になってきたようだから、多分これもその頃の物だと思われる。新品のような輝きだ。
Pertrixの懐中電灯。青いのと若干の違いがあるだけ。大きさもほぼ同じ。ただ、青い懐中電燈よりかなり重たいが、なぜなんだろう。
とにかく、小さくてポップな色合いが愛らしいおもちゃのような懐中電灯だ。こんなのを子供時代に持っていたら、さぞかし私の遊び方もヴァリエーションに富んでいたのになぁと思う。

















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