先ほど、犬の散歩をしてきたが、吐く息が白く、手がかじかむ。
寒い。
ドイツでもものすごく暑くて、どうしようもない、という夏もあるが、今日のように、手袋でもしたくなる寒さの夏もある。
この冷たさで、なぜか学校時代のことを二つ思い出した。
一つ目は、学校の寒さだ。
今の小学校は、どのような暖房を行っているのか、全くわからないが、私の時代は、だるまストーブが教室に一台備え付けてあった。
なぜか、午前中だけしかストーブは使えず、また、やんちゃな子が何かしでかした時は全体責任とやらで、ストーブを止められたものだ。
一番いやだったのは、月曜日の朝一番に行われていた漢字テスト。
金曜日の午後から土日と二日間、まるで火の気のなかった教室は、歯がガタガタ鳴るほど寒かった。鉛筆を握りしめることも難しい。かじかんだ手にハァハァと息を吹きかけては書く字はまるでミミズがはったようだった。
ある日、私は思い切って先生に言った。
「月曜日のあさの漢字テストを午後からに変えてもらえませんか?手が冷たくて、字が書けません。」
担任の先生は、私をギロッと見て冷たく言った。
「手が冷たくて字が書けんだと?たるんどるんじゃ!おまえが!」
たるんでいようがいまいが、寒いものは寒い。
もし、私が今小学生ならば、月曜日の朝の教室の気温統計を出したり、どのくらいで手がかじかんで動けなくなるか、をテストし、その資料を突き出してでも主張するだろうが、子供の私は引き下がるしかなった。
二つ目。
こんどは、高校生の時だ。
校庭掃除の割り振りがあって、友人たちとおしゃべりをしながら、ダラダラと掃除をしていた。
今思うと、どうしてあんなにしゃべりたいことがあったんだろう、あの頃は。
そんな私たちにある男の子がちりとりを投げつけてきた。
「なによぉ〜」と言おうとした時に、私の視線に怒り狂った体育の先生の姿が目にはいった。
先生は、ちりとりを投げた男子生徒に向かって突進し、まくしたてた。
「おまえ、今何やった。どうしてそんなことをした。謝れ、謝らんか!」
私はてっきり、投げつけられた私たちに謝れと先生は言っているのだ、と理解した。
彼をかばうために、私はあの〜と口を挟もうとした。
先生は、私の言葉を手で制して彼に言った。
「謝れと言ってるだろうが、ちりとりに謝れ!」
えっ?ちりとりに謝るの?
私も若い頃、日本で教員を務めたことがあるのでわかるのだが、ほとんどの先生方は真面目で、生徒想いで、良識がある。
しかし、私の思い出の中にいる先生たちは、理不尽で、子供をなめてかかっていて、そして時に滑稽である。
それでもまぁ、今は笑える思い出なのだから、よしとしよう。
今日の紹介は、メガネ。
メガネのツルがない、鼻すじに挟む古い形のメガネだ。
こういうのを見ると、ヨーロッパ人の鼻の高さを改めて感じる。
鼻すじにはさむといっても、わたしなどは挟む鼻すじがあいまいで、どうにも引っかかりようがない。
私がパートナーと知り合って、まず感嘆!したのは、その落ち窪んだ目と鼻すじだ。
寝転がった彼に、顔に水をぶちまけたら、目に水が溜まるほどだ、試したことはないのだが。。。
そして頬骨も高く、このメガネをかけても鼻すじと両頬骨との3点でしっかりと止まる。
わぁ、すごいなぁ。。。と感心してしまった。
でも、そこで、ふと思った。
彼らは顔の隆起が激しい分、皮膚がたるみやすいのではなかと。。。
私のように平坦な顔をしていると、皮膚が無理に引っ張られているわけもなく、たるみようがないのではないか。
ドイツ人女性は10代までは愛らしくて天使のような顔をしているが、そこから雪崩の勢いで下っていく。20代も後半になれば、この人誰?というほど変わり果てる。
その点、のっぺりとした顔立ちの日本人は、いつまでたっても若い、とこちらでは評判上々だ。
私などはそれでいい気になっているが、だからと言って、このツルなしメガネは生涯かけられないのだ。
あの高校の体育の先生ならいうのだろうか、
「メガネに失礼だろうが、かけることもできなくせに。。。メガネに謝れ!」
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