男は料理を作るとき、まず本を開く、そして女はまず冷蔵庫を開ける、と私は思う。

キッチンタイマー、料理

私のパートナーは食べることが好きだ。朝ごはんを食べならがらお昼に何を食べるかが気になり、お昼にはすでに夕ご飯のことをあれこれ考えている。だからといって、彼が料理を作るのは大いに気が向いたときだけで、そして、このやる気は突如にやってくる。

 

日頃なかなか朝が起きられない彼なのだが、私が起きてキッチンへ足を運ぶと、時にすでに彼がパジャマのままで起き出していることがある。

 

来た、来た、料理熱だ!

何冊もの料理本を積み上げ、その本に埋もれるかのようにして、黙々と買い出しのためのメモを書く彼。夜中のうちに突如、料理熱波が訪れることが多く、そうなるといてもたってもいられないらしい。

一人でこうして盛り上がってくれるならば、私は一向に構わないし、美味しいものが食べれるのだから、大歓迎でもある。

 

だが現実は、それを手放しには喜んでいられない。まずは、本に書いてある材料を全て集めるために、スーパーをはしごし、八百屋を駆けずり回ることになる。さらに、包丁を上手に扱えない彼のために、私が本を見ながら料理に合った切り方をして、お膳立てをしなくてはならない。そこで主役の登場と相成り、料理に熱中する彼のそばでせっせと洗って片付けていくのも私の役目だ。

つまり、彼は全部揃った材料、切り揃えられた野菜、肉類を前にして、レンジ周りが汚れてしまうのも意に介さず、ダイナミックにやってくれるのだ。使ったお鍋もボールも菜箸も使った端からどんどん片付けられていくのだから楽なものだ。

つまり、テレビの料理番組のような具合に料理を進めていけるのだから、彼には面白いに違いない。そして、出来上がった料理に満足し、満面の笑顔で友人たちに画像を送る。「僕が作った料理」とコメントを添えて。。。

まぁ、こう書いていくと「むかつく!」とも言いたくもなるのだが、ふと思うのである。

 

正直に言って、彼の料理の80%は私が作っているようなものなのだけれど、彼のあと20%がなんだか大きい意味を持っているような気もするのだ。

私が料理をすると、優等生的でソツはないのだけれど、面白みがない。けれど、彼が作るとなぜかおおらかで枠に収まらない自由さがあるように感じてしまう。そして食べ終わった時に、なんともいえない満足感と解放感を感じる。

 

本当に熱意こそが最高のスパイスであり、人を喜ばせる媚薬なのかもしれない、と料理熱のあがった彼に脱帽するわけである。

 

このキッチンタイマーは蚤の市でみつけた。

柔和そうなおじいさんとかわいらしいおばあさんが自分たちの不用品を出していた。薄くくすんだ水色のボディは剥げかかっていて、おせじにも綺麗とは言えないのだけれど、その剥げ具合がなかなかいいし、またこの色は50年代のドイツを代表するような色だ。

だけど、おじいさんは「このキッチンタイマーはとっても新しいよ!」と私に説明をして、タイマーのつまみををちょこっと回した。いったいいつ頃のものなの?と尋ねると、「50年代かなぁ。。。」

私が笑うと、お二人もにんまりして、「50年代なんてつい昨日のことさ!」とおじいさんはウィンクを投げてよこした。そしてそこで、タイマーの切れるかなり無骨な短い音が私の手元で鳴った。

 

 

キッチンタイマー

1950年代

7,5 x 7,5 x 4,0 cm

金属、プラスチック

キッチンタイマー2

小さいけれど持ち重りがする。

_DSF9042

タイマーが切れると、ビビッと短い媚のない音が響く。