ふと考えてみると、私の父が骨董を本格的に集め始めたのは、今の私の年齢くらいからだったような気がする。
当時私は、父がどこかしら胡散臭いところで買ってきた古い食器でご飯を食べるなんてまっぴら!と思っていたし、骨董がぎっしりと詰め込まれたダンボールが倉庫に山のようにあるのを見て、「我が家の家計は大丈夫なの?」と本心で心配していた。
そしてなにより、自分が父のようになるとは全く思いもよらなかった。
今の私は、アンティークが並ぶお店の前で足が止まり、ネットで探し、蚤の市に出かける。
そしてあの頃の父のように、集めた物を出しては撫でまわし、うんちくを嬉々として相方にたれる。
相方といえば、私の子供時代の時のように「またか。。。」という顔をしてそそくさと私の前から姿を消す。
ある日、 相方は一つの提案をしてきた。
「せっかくだから、多くの人たちにコレクションを見てもらったら?」
„tempi passati“とはイタリア語で、「昔を懐かしみ、思いを馳せる」という意味らしい。
「昔は良かった!」が口癖になるほど私は年齢を重ねてはいないけれど、確かに一昔前のデザインは美しく、また今見ても新しさを感じる。そして何より、人が使い続け今に残っている物は、その歴史の重みを背負っているように感じるのは私だけだろうか。さらに、時代を乗り越えた美しい品々を次世代に残していくことに、私は小さな使命感を持っているのである。
ということで、„tempi passati“はいざ、幕開け!
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