先日、19歳の男の子が銃を発泡して多くの死傷者が出た事件は、私の住む街で起こった。
昨今は本当に様々な情報が即座に入ってくるが、それらはまさに玉石混合で、何が正しい情報なのか、どれが重要な情報なのかを見極めるのが本当に大変だ。
今回の事件は、間違った情報が独り歩きをしてしまった例だった。
犯人は、19歳の男の子の単独の犯行だったが、当初、犯人は3名、そして逃走中、と報道された。
だから、地下鉄、バス、路面電車、近郊電車、タクシーなどすべての交通機関は即座にストップした。
ちょうど家に帰る時間と重なり、多くの市民は足を失ったわけだ。
市の中心部で働く私も例外ではなく、一旦は地下鉄最寄り駅まで行ってはみたが、入り口が封鎖をされて追い返されてしまい、すごすごとまた職場に戻って不安な時間を過ごす羽目になってしまった。
犠牲になった方々、負傷したみなさん、怪我はなかったけれどその場に居合わしてしまった人たちのことを考え合わせれば、私の被ったことなど何でもないが、情報の持つ力には本当に脅威を感じる。デマ一つで、大きな街のすべての機能を停止することだって簡単にできてしまうのだから。。。
今回の犯人、19歳の青年のことを新聞で読んでいて、ふと、自分はどんな19歳を過ごしたのだろうと考えた。
この年齢はある意味残酷な年齢なのかも。。。
ある思い出がよぎった。
私は大学生で、同じ研究室の仲間と喋って、笑って、喋って。。。そんな無邪気だが能天気な毎日を過ごしていた。
ある日、ひとりのおじさんが研究室に入ってくるなり、私たちに挨拶を始めた。
「私は、小学校の教師をしていますが、これから半年間、みなさんと学び、研究をすることになりました。よろしくお願いいたします。」
私たちは、ポカンとしてくたびれたようなおじさんの顔を見ていた。
今から考えると、彼は40歳も超えていないような割合若い男性だったようにも思う。
とにかく、今まで和気あいあいの研究室におじさんがいるのだ。
盛り上がる話も笑えるジョークもなぜか色あせるように私たちは感じた。
彼は私たちと溶け込むために話に付き合い、その時々に笑ったり相槌を打ったりする。
これが、私たちには無性にイラついたのだった。
ある日、研究室の一人の女の子が言った。
「今度の飲み会、おじさん抜きにしようよ。」
いくらなんでもそれはダメでしょう、と反対したのは私ともう一人の男子学生だけだった。
あっけないほど簡単に、多数決でおじさんを呼ばない飲み会が決定した。
当日、私たちは前のように喋って笑って、飲んで。。。でも、胸の奥がチリッと痛み、飲み会の最後は湿っぽくなった。
「やっぱり、私たちひどいことしてるんじゃない?」
誰とはなしにそんな話になり、
「明日、正直に今までのこと、おじさんに話そう!そしておじさんと一緒に飲み直そう!」
と別れた。
次の日。
おじさんは研究室に現れなかった。
その次の日も、その次も。。。
半年だったおじさんの研究期間は4ヶ月に短縮になり、私たちに謝るチャンスを与えることなく、彼は去って行った。
今でも、その時の夢を見ることがある。
もう彼の顔も思い出せないのだけれど、彼はワイワイとはしゃぐ私たちの輪からどんどんと遠ざかっていく。。。
自分のやっていることがどんなに相手を傷つけているかもわからなかったあの頃。今、あの時のことを思い出すと、チクリと胸を刺すなんて痛みじゃない、もっと深い後悔の念のような、恥ずかしさで顔を上げられないような、複雑なな思いが今尚ひそんでいる。
彼は、あの時のことを今も思い出すことがあるのだろうか。。。
今日の紹介は合図灯と呼ばれる物。
白と赤、緑の切り替えがあり、駅員さんが運転手に合図を送るために使われる、あるいはミリタリー用で、味方に知らせるために使われる。
これは、近所のお兄さんから譲ってもらった。
彼とひょんなことで私の趣味を話す機会があった。私は古いものが好きで、日本の人たちにそれらを紹介したり、欲しい方には譲ったりしている、と話した。
話の途中から、彼の目つきが変わり、内心「ん?」と思っていた。
ちょっとここで待っていて、と彼は私の話を途中で制して消えた。
待つこと10分弱。
息を切らしてやってきた彼は手にこれを持っていた。
彼の話では、第二次世界大戦時に使われた合図灯のようだ。
赤と緑の取っ手があり、その取っ手を回すと、赤、緑のフィルターがかかり、色付きの光になる仕組みだ。中央部分に鷲のマークが入っているので、これは鉄道用ではなく、ミリタリー用だ、と彼は説明をしてくれた。
長年、自宅地下倉庫にあって、こうした趣味の人にいつかぜひ譲りたいと思っていたんだ!
とはち切れんばかりの笑顔で私に渡してくれた。
実はこのお兄さんを私は10年以上知っている。
何せ、家はほぼ向かいだ。でも、一度もまともに話をしたことがなかった。
私は知らないが、パートナーとささいなことで言い合いになったらしく、それ以来彼と一度も話をしていないと言う。そして、パートナーの連れ合い、つまり私もそんなことから一度も話をする機会がなかったというわけだ。
日本と違って、町内会などというものがないので、隣り合わせでも全く知らない、ということもごく普通にあり得る。
とにかく、この合図灯が取り持ってくれたおかげで、私たちはにこやかに挨拶をかわせる隣人となった。
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